弊社、株式会社ヘヴンズゲイトの理念を語らせて頂きます
弊社は、「楽しい」を求める集団です。
ただ、それは、誰にとっての「楽しい」でしょうか?
それは、私たちの「楽しい」であり、そして私たちに関わって頂いている方々の「楽しい」であり、そして、できれば、私たちと関わって頂けない方々も含めた、世界の「楽しい」です。
文章、音楽、漫画、映画、動画、アイドル、タレント、形式は問わず、あらゆるものでの「楽しい」を私たちは求めます。
しかし、「楽しい」を求めるだけなら、株式会社という形を取る必要もなければ、人びとが集まって集団という形を取る必要もありません。
一人でただ、絵を書いたり、文章を書いたり、動画を撮ったり、(あるいは道にいる猫ちゃんを撫でたり、)していればいい話です。それは個人で一人でできる話です。
なぜ、株式会社なのか?
なぜ、集団なのか?
まず、株式会社という形を取っている理由として、私は、世の中は「楽しい」だけでは回らないと考えています。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれる本は書店でお金を払わなければ買えません。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれる音楽はお金を払わなければ聴けません。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれる漫画はAmazonでお金を払わなければ読めません。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれる映画は映画館でお金を払わなければ見れません。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれるアイドルは入場料を払わないとコンサートで観れません。
私たちに「楽しい」をもたらしてくれるYoutuberは、Googleが動画の中に広告を差しはさみ、それにより収益を得て、その収益でサーバーやシステムを組んでくれなければ、観れません。
それら「楽しい」をもたらすものをつくるすべての人たち、そしてそれに関わるすべての人たちが、日々、少なくとも、生きるためにはご飯を食べなければなりません。(そして、そういったご飯をつくってくれている農家の方々や、私たちが移動するのに便利な車を作るのに関わってくれているすべての方々や、住む場所をつくってくれた建設業や不動産業に関わるすべての方々や、日々、社会がめちゃくちゃにならないように一定の秩序を保証して頂いている方々や、ここで私たちが思いが至らぬ方々を含めて、あらゆる方々に、私たちは感謝しなければならないと考えています。)
生きるために、ご飯を食べる。
そのためには、お金が必要です。
だから、私たちは「楽しい」を求めるだけで「楽しい」が手に入り、また、おごがましくも、世界に「楽しい」をうみだせるとは、考えていません。
綺麗事だけで「楽しい」を得ることができるとは、考えていません。
そのため、私たちは株式会社という形を取る形にしました。
必要な方々に報酬を払い、給与を払い、何かを産み出し、法律を守り、売上を立てて、収益を得て、時には借金をし、(いや、「時には」ではすみません。トホホ。)税金を納め、その上で、「楽しい」を得ていく。
そのためには、株式会社という形がいちばんだと、私たちは考えました。
しかし、また、私たちにも欲があります。
100%、「楽しい」だけでやっているとは言えません。それは、やはり、私たちは、まずは、私たちのことが大事であり、私たちの「楽しい」をまずはいちばんに考えているからです。
しかし、私たちは、私たちにできる限り、私たちでない人たちにも「楽しい」を感じてほしいと考えています。
これが、私たちが株式会社という形を取っている理由です。
そして、ふたつめ、私たちがなぜ「集団」という形を取っているかについて、お話させてください。
ただ「楽しい」を求めて、何かを(それなりに)作るだけであれば、ひとりでも大丈夫でしょう。
文章も、音楽も、漫画も、映画も、動画も、Youtubeも、写真も、アイドルも、タレントも、やろうと思えば、大抵のことは、ひとりでできます。
しかし、私たちは、すべてのことが得意なわけではありません。
私たちは、苦手なことがあります。何もかもがそつなくこなせる人ばかりではありません。
上手な文章が描けるが、お金の計算ができない人
喋るのが上手で人(会社)と関係を築けるが、絵は描けない人
女の子のお尻を追っかけてばかりで、すぐに感情的になり、思いつきで行動し、気分の上がり下がりが激しく、人と喋ることが苦手で、屁理屈をこねるのが得意で、他人の気持ちを考えれないことが多々あり、よくない冗談をすぐ言い、空気が読めず、ノリはいいものの悪ノリをしては人に迷惑をかけまくりで、全然仕事をしない人(この文章を書いている私のことでは、決してありません!決して!)
面白い動画を撮ることができるけど、編集することはできない人、あるいは逆の人
人びとをはっとさせる美しさを持ちながら、それを世界に届かす術を持たない人(あるいはもっと届かせられるのに、もっと届かせられる術を持たない人)
私たちは、小学校で習いました。
1+1は2だと。
しかし、私たちはそれは間違いだと思っています。
1+1は100になることがあります。
人が、右手だけでは拍手ができないように、心臓だけでは血液を送る先がないように、脳だけではそれが働く食べ物が食べれないように、私たちは、合わさることで、全体で生きていて、そしてより遠くまで行くことができます。
1(あたな)と1(私たち)を足すと、2ではなく100になることがあります。
私たちは、そんな足し算しか、したくはありません。
そして、その100をわたしたち2人でわければ、50になります。
1が、足しただけで、50に増えました。
1+1=2
そんな足し算はしたくはありません、他の方々にお任せします。
そしてもっと言わせてください。(よくばりだなあなんて、思わないで!)
私たちが求めているもの、それは
1+1=100
そんなものではありません
私たちは
1+1+1を、
1+1+1+1+1+1を、
1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1(以降無限に続く)
を求めています
そして、その求める足した結果は、
100どころではなく、
200を、
1000を、
100000を、
10000000000を
1000000000000000000を、
そしてもっと、できる限りを、
求めています
だから、私たちは集団であります
以上が、第二の疑問に対する回答になります
「楽しい」を追い求めながら、しっかりと「楽しい」を得ながら、日々、私たちが食べていけて、あわよくば、「楽しい」以外も得ることができる、私たちが食べていける以上を得ることができる、そして、願わくば、私たち以外の人たちにも「楽しい」を感じて頂ける、そんな世界、私たちは、それが天国だと思っています。
だから、私たちにはあなたが必要です。
私たちとともに何かをつくってくれるあなた
私たちを後ろで支えてくれるあなた
私たちとお取引をして頂けるあなた
私たちを応援してくれるあなた
そして私たちのつくる「楽しい」を受け取ってくれるあなた
もし、あなたがいなければ
入口がどこかもわかりません
天国も見えやしないでしょう
それは私たちは悲しいですし、憂鬱でしょう
もし、あなたがいなければ
株式会社ヘヴンズゲイト
追伸
私たちの会社のこのページ以外の記述は、とてもふざけた調子になっています。
でも、私たちはふざけているわけではありません。
いえ、ふざけてはいますが「楽しい」に対して、そしてその「楽しい」のためのお金や手段に対しては「真面目」です。
どうしてふざけた調子にしているのか?それは、あなたに興味を持ってほしいからです。「楽しい」人たちは「楽しい」人たちを好きだと思うから、「楽しい」あなたが「楽しい」そうな私たちに興味を持ってもらえることを、私たちは期待しています。
私たちは、大きな会社ではありません。私たちは、綺麗な人間ではありません。私たちは、暗い過去があったり、病んだり、ナイトワークの経験があったり(これは、ナイトワークの経験があることを、私たちがネガティブな意味で捉えているという意味での羅列ではありません。)落ち込んだり、自分に自信がなかったり、自分が変わり者なんじゃないか、世界から拒否されているんじゃないか、自分はいない方がいいんじゃないか、そんな意識をもっていた人間がいます。いえ、今も持っている人間がいます。
ですが、そんな私たちですが、「楽しい」をうみだせている自信があります。
だから、これを見ているあなたが、もし、「自分なんて」と思っていれば、そんな風に思わないでほしいと、かつてそう思ったことのある私たちは、思います。(あるいは今もそれをぬぐえていない私たちは。)
死なないでください。
いえ、あなたが死ぬことを決めたなら、私たちにそれを禁止することはできません。
しかし、少なくとも私たちと関わってから、決めてください。
私たちと一緒に「楽しい」を求めてみませんか。
ある意味で、私たちは長い長い映画を撮っています。そして、私たちは、私たちで映画を撮りながら、その私たちで撮った映画を、私たちで楽しんでいるんです。
ここまで読んだあなたは、私たちの映画を少しだけ観ていることになります。
小さな映画館の横を通り過ぎ、中で上映されている映画を、通り過ぎてちらりと横目で見た窓から、少しだけでも、観てしまっています。
一度見た映画を、最後まで観ずに終わるのですか?
最後まで観てください。
そして、観るだけではなく、できれば、私たちと一緒に、映画をつくりましょう。
私たちと一緒に「楽しい」をつくりたい、
私たちの「楽しい」を支える働きをしたい、
私たちと「楽しい」ことをしたい、
私たちに「楽しく」してほしい。
何でも構いません。私たちに連絡をください。
みんな、人に連絡をしなさすぎると思います。
求めなければ、そもそも手に入りません。
安西先生だって言ってました、たしかに、最後に右手は添えるだけだったかもしれません、でも、その添える右手が放ったシュートがスポンと綺麗に入ったのは、彼が何度も何度も練習を繰り返してきたからです。2万回のシュートの練習を繰り返したその先に、あの「添えるだけの右手」がありました。
外れることは恥ずかしいことではありません。
すべてに返信ができるかは、保証できません。でも、少なくとも見はします。
この文章を書いている私個人だけが見ます。馬鹿にしません、なんだこれ?なんて言いません。連絡して頂いた内容を、勝手に人には話しません。(約束します。)
一緒に働きたいかもしれないな、私もっと伸びるはずなんだけどな、プロデュースして伸ばしてくれないかな、なんだか面白そうだからまずは話してみたいな、どうせ捨てる人生だから最後にここに行ってみようかな、うちとなんかやれないかな。
まずは、連絡をください。